◆◆ 由無し事 ◆◆

心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば・・・・・

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江戸しぐさ 

曽野綾子氏著の「老いの才覚」のなかに次のくだりがある。

江戸しぐさ」と言われるものに、後から来た人が座れるように腰をこぶし分だけ浮かせて少しずつ席を詰める「こぶし腰浮かせ」や、道を歩いていて人とぶつからないよう肩を引く「肩ひき」、雨の日はしずくをかけないように外側に傘を傾けてすれ違う「傘かしげ」などがあります。日常、そういう他人へのちょっとした心遣いを忘れないことが大切です

老人になって身に着けなければならない二つの力は、他人への気配りと忍耐力を養うことだと彼女は書いています。江戸時代は、260年以上もの間、争いのない平和な時代でした。人々の共生の知恵として、「江戸しぐさ」の存在があったからであろうと推察できる。

年の取り方を知らない老人が急増してきたといわれ、そして超高齢化の時代を迎える今、わがままな年寄こそ大問題なのである。自立した老人になり人生を面白く生きるための彼女が指摘する7つの才覚を身につけ、他の世代に負担をかけず共生して人生を終える。これが我々団塊の世代に課せられた「宿命」なのである。くしくも、今日は「成人日」、若い世代には限りない希望の炎を燃やしてもらいたい!



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[ 2011/01/10 14:09 ] 読書 | TB(0) | CM(0)

老いの才覚 


少子高齢化社会である。「高齢であるということは、若年である、というのと同じ一つの状態を示しているだけで、それは、善でも悪でもなく、資格でも功績でもない」と著者・曽野綾子氏は説く。

昔の老人には「才覚」があった。しかし、現在は年の取り方を知らない老人が急増しているのだと指摘する。

超高齢化の時代を迎える今、わがままな年寄こそ大問題なのだという。

年をとっているという事は、多種多様な経験があるのであるから、老人は「自立」と「自律」して、他人に依存しないで自分の「才覚」で生きることが大切だと教えている。

五木寛之が林住期の中で言う、「人生のクライマックスは50歳から75歳までの「林住期」にあるのではないか」ということと異言同義ではと考えることができる。

最後は、カトリックのクリスチャンらしく、神とのかかわりの中で本書は締めくくられている。本書の最後に引用されている、アデマール・デ・パロスの「神われらと共に」を一語一語かみ締めながら詠んでいる。

夢を見た、クリスマスのよる。
浜辺を歩いていた、主と並んで。
砂の上に二人の足が、二人の足跡を残していった。
私のそれと、主のそれと。

ふと思った、夢のなかでのことだ。
この一足一足は、私の生涯の一日一日を示していると。

立ち止まって、後ろを振り返った。
足跡は、ずっと遠くに見えなくなるところまで続いている。

ところが、一つのことに気づいた。
ところどころ、二人の足跡でなく、
一人の足跡しかないのに。

私の生涯が走馬灯のように思い出された。

なんという驚き、一人の足跡しかないところは、
生涯で一番暗かった日とぴったり合う。

苦悶の日、
悪を望んだ日、
利己主義の日、
不機嫌の日、
試練の日、
やりきれない日、
自分にやりきれなくなった日。

そこで、主のほうに向き直って、
あえて文句を言った。

「あなたは、日々私たちとともにいると約束されたではありませんか。
なぜ約束を守ってくださらなかったのか。
どうして、人生の危機にあった私を一人で放っておかれたのか、
まさにあなたの存在が必要だった時に」

ところが、主は私に答えて言われた。

「友よ、砂の上に一人の足跡しか見えない日、
それは私がきみをおぶって歩いた日なのだよ」

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[ 2010/12/21 21:04 ] 読書 | TB(0) | CM(0)

二冊の本 

夏の高校野球甲子園大会の代表校も大阪を残すのみである。7月も今日で終わり、明日からは8月である。大阪大会は本日が準決勝戦、4強は金光大阪、大体大浪商、履正社、近大付である。


毎年この時期になると、出来る出来ないは別として、盆期間中の過ごし方をシュミレーションしてみる。高校野球のテレビ観戦と読書となるのが事前の成り行きである。

昨日、天神地下街の書店に立ち寄ってみた。たまたま、2冊の本が並んであった。「甲子園が割れた日(松井秀喜5連続敬遠の真実)」中村計著と「そうか、もう君はいないのか」城山三郎著がそれである。

1992年夏の大会、高知県代表の明徳義塾高校と石川県代表星稜高校の試合で、星稜の4番打者、松井秀喜(巨人→NYヤンキース→現エンジェルス)が全5打席連続で敬遠された事は今も脳裏に焼きついている人が多いであろう。その時の真実を知りたいと思っている人が多いことも確かである。

私もこの試合をテレビで観戦したが、ひどくいやな気分になったこと覚えている。ひょっとすると日本人であれば一般に持っているであろう、「高校野球」というものに抱く幻想がそうさせたのではなかったか? むしろ、明徳義塾の馬淵監督が指示した作戦、すなわち5連続敬遠が勝負に執念を燃やすなら当然ではなかったのか? この本で自分なりの結論を求めたいと思う。

私は最近、五木寛之氏の林住期を読んで考え方が変わりつつあると感じている。古代インドでは人生を4つの時期に区切るという。「学生期」(がくしょうき)、「家住期」(かじゅうき)、「林住期」(りんじゅうき)、「遊行期」(ゆぎょうき)である。林住期に生きる人間は、まず独りになることが必要だという。人生に必要なものは、じつは驚くほど少なく、1人の友と、1冊の本と、1つの思い出があれば、それでいい・・・と言った人もいるという。


夫婦の関係も、恋人でも、夫でもない、一個の人間として相手と向き合うことも考えなければならない。ばらばらに暮らしても、二人の結びつきをさらに深めていくことも可能だという。

「そうか、もう君はいないのか」は長い間連れ添った奥さんに先に逝かれた城山氏の心が語られている。夫人を失くした寂寥感、喪失感、孤独感とともに夫人に対する万感の思いが伝わってくる。

この年になると、伴侶を失うという恐怖が寄り現実的なものとなってくる。「会うは別れの始め」、別れのときは必ずやって来るのである。厚い本ではないので、同年代の人には何度も何度も読み返して頂きたい。

本来の自己を生かそう。自分をみつめよう。心が求める生き方をしよう。そう考えると、心は晴れやかである。
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[ 2010/07/31 10:00 ] 読書 | TB(0) | CM(0)

わが人生の歌がたり 


5月末で前職を退任し次の仕事までの充電期間を過ごしている。7月15日の早朝に行われた「博多祇園山笠」のフィナーレ「追い山」がすみ、今年も一気に夏が訪れた。ぐずついていた天候は晴上がり、暑さは少々のものではない。

次の仕事は東京で従事することとしているため、その前に大分の女房の実家を訪ねることとした。両親とも高齢であり、かなり衰えが目立つということを聞いていたので心配しながらの訪問となった。急激な気候の変化には年をとるに従ってこたえ方が少々ではないので・・・。

しかし、会ってみると心配は一新した。体力的な衰えは否めないが、精神的な部分では以前と変わりないという印象であった。居間のテーブルに五木寛之の本を発見した。以前と変わりなく、この種の本を親父さんが買ってくるのであろう。手にとって見るとなかなか面白い。

例によってネット用の紹介によると『五木寛之が送る「わが人生の歌がたり」1~3巻セット。泣いて、力がわいてくる! NHK「ラジオ深夜便」のトークと歌の感動をふたたび!貧しいとき苦しいとき、心を支えてくれた歌の数々歌謡曲でたどる、昭和の歴史 (昭和40年代)監修・選曲・語り:五木寛之 』。五木氏は福岡県八女市の生まれで、福岡県立福島高等学校の出身ということもあって、身近に感じる小説家の一人である。書中に取り上げられている歌が自分の青春期に重なるということもこの本に親しみを感じさせている。

『歌は世につれ世は歌につれ』歌は、その時代の、ありさまや傾向の影響を受けた歌が多くなり、 又、その時代の、ありさまや傾向も、歌の影響を受けやすいということである。その歌を思い出すことにより、その時の自分の境遇が思い出されるのである。最近読んで心に残っている氏の林住期にあるように、今は時間を取りもどす季節なのである。林住期に生きる人間は、まず独りになることが必要なのだ。そして過去をゆっくり思い返してみる、そのためにも「わが人生の歌がたり」は役に立ちそうである。


わが人生の歌がたり(昭和の青春)


わが人生の歌がたり 昭和の哀歓

《収録内容》

第1巻
1. ナレーション ・・・ 五木寛之
2. 別れのブルース ・・・ 青江三奈
3. からたちの花 ・・・ 倍賞千恵子
4. 小雨の丘 ・・・ 高峰三枝子
5. 影を慕いて ・・・ 五木ひろし
6. 蘇州夜曲※ ・・・ 山口淑子(李 香蘭)
7. 誰か故郷を想わざる ・・・ 冠 二郎
8. サーカスの歌 ・・・ 舟木一夫
9. ナレーション ・・・ 五木寛之
10. 小さな喫茶店 ・・・ 菅原洋一
11. 青い背広で ・・・ 藤山一郎
12. リンゴの唄※ ・・・ 並木路子&霧島 昇
13. 別れても ・・・ 美空ひばり
14. 港が見える丘 ・・・ 美空ひばり
15. 湯の町エレジー※ ・・・ 近江俊郎
16. 東京の屋根の下※ ・・・ 灰田勝彦
17. 悲しき口笛※ ・・・ 美空ひばり
18. さくら貝の歌※ ・・・ 倍賞千恵子
19. あざみの歌※ ・・・ 伊藤久男
20. 君の名は※ ・・・ 織井茂子
21. 津軽のふるさと※ ・・・ 美空ひばり
22. ナレーション ・・・ 五木寛之
第2巻
1. ナレーション ・・・ 五木寛之
2. 哀愁列車※ ・・・ 三橋美智也
3. 喜びも悲しみも幾年月※ ・・・ 若山 彰
4. 西銀座駅前※ ・・・ フランク永井
5. 南国土佐を後にして※ ・・・ ペギー葉山
6. 東京ナイト・クラブ ・・・ フランク永井と松尾和子
7. 黒い花びら ・・・ 水原 弘
8. 誰よりも君を愛す※ ・・・ 松尾和子、和田 弘とマヒナ・スターズ
9. アカシアの雨がやむとき ・・・ 西田佐知子
10. 硝子のジョニー ・・・ アイ・ジョージ
11. ナレーション ・・・ 五木寛之
12. 君恋し ・・・ フランク永井
13. コーヒー・ルンバ ・・・ 西田佐知子
14. 北帰行 ・・・ 小林 旭
15. 星をさがそう ・・・ 北原謙二
16. 寒い朝 ・・・ 吉永小百合、和田弘とマヒナ・スターズ
17. ウナ・セラ・ディ東京 ・・・ ザ・ピーナッツ
18. 愛と死をみつめて ・・・ 青山和子
19. ああ上野駅 ・・・ 井沢八郎
20. 夜明けのうた ・・・ 岸 洋子
21. ナレーション ・・・ 五木寛之

第3巻
1. ナレーション ・・・ 五木寛之
2. 若者たち ・・・ ザ・ブロードサイド・フォー
3. 銀色の道 ・・・ ザ・ピーナッツ
4. 伊勢佐木町ブルース ・・・ 青江三奈
5. 好きになった人 ・・・ 都 はるみ
6. ブルー・ライト・ヨコハマ ・・・ いしだあゆみ
7. 青年は荒野をめざす ・・・ ザ・フォーク・クルセダーズ
8. 圭子の夢は夜ひらく ・・・ 藤 圭子
9. よこはま・たそがれ ・・・ 五木ひろし
10. ナレーション ・・・ 五木寛之
11. 折鶴 ・・・ 千葉紘子
12. 俺たちの旅 ・・・ 中村雅俊
13. 花水仙 ・・・ 八代亜紀
14. 夕焼け雲 ・・・ 千 昌夫
15. 能登半島 ・・・ 石川さゆり
16. 旅の終りに ・・・ 冠 二郎
17. 青葉城恋唄 ・・・ さとう宗幸
18. 愛の水中歌 ・・・ 松坂慶子
19. ナレーション ・・・ 五木寛之




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[ 2010/07/25 22:51 ] 読書 | TB(0) | CM(0)

もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの「マネジメント」を読んだら 


最近話題の本である。ネット上この本の紹介は『敏腕マネージャーと野球部の仲間たちが甲子園を目指して奮闘する青春小説。高校野球の女子マネージャーのみなみちゃんは、マネージャーの仕事のために、ドラッカーの『マネジメント』を間違って買ってしまいます。はじめは難しくて後悔するのですが、しだいに野球部のマネジメントにも生かせることに気付きます。これまでのドラッカー読者だけでなく、高校生や大学生、そして若手ビジネスパーソンなど多くの人に読んでほしい一冊。』となっている。

著者は岩崎夏海(いわさき・なつみ)氏。『1968年7月生まれ。東京都日野市出身。東京藝術大学美術学部建築学科卒。大学卒業後、作詞家の秋元康氏に師事。放送作家として「とんねるずのみなさんのおかげです」「ダウンタウンのごっつええ感じ」等のテレビ番組の制作に参加。アイドルグループ「AKB48」のプロデュース等にも携わる。その後、ゲームやウェブコンテンツの開発会社を経て、現在はマネージャーとして株式会社吉田正樹事務所に勤務。』と巻末で紹介されている。

確かに経営書というのは読んでも面白くないので、特にドラッガーの著書のようなものとなると1ページ目を開いた時点でため息ということになる。しかし、多くのスポーツの監督、マネージャーに経営学を専門的に勉強したことがある人が多いことに驚かされる。残念ながら日本では聞いたことが無いが。

今日から南アフリカ共和国でワールドカップが開催される。かって、日本サッカーに多大の貢献をしたハンス・オフト(Hans Ooft)についての著書、軍司 貞則氏「オフト革命 ワールドカップ日本出場の原点をつくった男」を読んだことがある。

ハンス・オフトは足の負傷により現役を退いた後、経営学を専門的に学んでいる。勿論ドラッガーについても学んだに違いない。彼のチーム作りには、使命と役割、取り組むべき仕事、さらには中長期的に考えるべき戦略それをサポートするマーケティング・・・経営学に基づき企画されていた。 Twitter「つぶやく」ボタン
[ 2010/06/11 18:20 ] 読書 | TB(0) | CM(10)

真つ面(も):真面(まとも):真鑢 

辞書を引くと、
1 まっすぐに向かい合うこと。正しく向かい合うこと。また、そのさま。真正面。「―に風を受ける」「―に相手の顔を見る」
2 策略や駆け引きをしないこと。また、そのさま。「―に戦ってはとても勝てない」
3 まじめなこと。正当であること。また、そのさま。「―な人間になりたい」「これは―な金だ」
とあった。


司馬遼太郎・「菜の花の沖」には次のような記述がある。

『西宮を出てしばらくは、風はいわゆる真艫(まとも)だった。風が船尾から素直に追ってきてくれる状態のことで、帆をあげっぱなしにして舵さえさわらずにすすむほどの風だった

「真艫(まとも)に帆にあたっている」

と、たれもがうれしそうにいった。船乗り冥加というもので、こういう場合はき口々に声をだして祝いあうのである。マトモな話ではないとか、マトモな人間とか、あるいはマトモにぶつかってしまったとかいう陸(おか)の言葉はこういう船乗り言葉からきたのであろう。』

板子一枚下は地獄であるから、まともでなければ、死につながると言うことなのである。生きている限りは全てのことにマトモに取り組めと・・・・ Twitter「つぶやく」ボタン
[ 2010/05/06 22:51 ] 読書 | TB(0) | CM(0)

菜の花の沖 


BOOK情報に基づいてあらすじを紹介すると次のようになる。

(一)江戸後期、淡路島の貧家に生れた高田屋嘉兵衛は、悲惨な境遇から海の男として身を起し、ついには北辺の蝦夷・千島の海で活躍する偉大な商人に成長してゆく…。沸騰する商品経済を内包しつつも頑なに国をとざし続ける日本と、南下する大国ロシアとのはざまで数奇な運命を生き抜いた快男児の生涯を雄大な構想で描く。

(二)海産物の宝庫である蝦夷地からの商品の需要はかぎりなくあった。そこへは千石積の巨船が日本海の荒波を蹴たてて往き来している。海運の花形であるこの北前船には莫大な金がかかり、船頭にすぎぬ嘉兵衛の手の届くものではない。が、彼はようやく一艘の船を得た、永年の夢をとげるには、あまりに小さく、古船でありすぎたが…。

(三)蝦夷地の主・松前藩は、アイヌの人びとを酷使して豊富な海産物を独占していたが、この内実を他に知られるのを恐れ、北辺にせまる大国ロシアの足音を聞きながら、それをも隠し続けた。漸くにして嘉兵衛が巨船を作り上げ、憧れのかの地を踏んだころから、情勢は意外な展開をみせ始めた。幕府が東蝦夷地の経営に乗り出したのだ。

(四)エトロフ島は好漁場であったが、すさまじい潮流が行く手を妨げ、未開のままだった。しかし幕府は北辺の防備を固めるため、ここに航路を確立する必要を痛感して、この重要で困難な仕事を嘉兵衛に委ねた。彼の成功は、蝦夷人にも幕府にも大きな利益をもたらすであろう。が、すでにロシアがすぐとなりのウルップ島まで来ていた。

(五)ロシアは、その東部の寒冷地帯の運営を円滑にするために、日本に食糧の供給を求めた。が、幕府が交易を拒絶したことから、報復の連鎖反応が始まった。ロシア船が北方の日本の漁場を襲撃すれば、幕府も千島で測量中のロシア海軍少佐を捕縛する。商人にすぎない嘉兵衛の未来にも、両国の軋轢が次第に重くのしかかってくる…。

(六)突然の災厄が、嘉兵衛を襲った。彼自身がロシア船に囚われ、遠くカムチャツカに拉致されたのだ。だが彼はこの苦境の下で、国政にいささかの責任もない立場ながらもつれにもつれたロシアと日本の関係を独力で改善しようと、深く決意したのである、たとえどんな難関が待ち受けていようとも…感動の完結篇。

司馬遼太郎の長編小説「菜の花の沖」を読み始めている。淡路島の貧家に生れた高田屋嘉兵衛が裸一貫から身を興し、蝦夷(北海道)交易を中心に廻船業者として活躍し、優れた航海技術と商業感覚で巨万の富を築く一方、私財を投じて商売の本拠地・箱館(函館)の開発や、郷里・淡路島の整備事業を成し遂げていく。また、エトロフ島への航路を開き魚場を開発した開拓者として、あるいは日本とロシアの紛争を解決した国際人として、今直高く評価されている。

これから、一ヶ月ほど、その壮大なロマンに酔おうと思う。

『こちらが裸の人間としての尊厳をもちさえすれば、相手も身分制や立場の衣装をぬいで裸にならざるをえないという人間関係の初等力学のようなものが、嘉兵衛の腑のなかに棲みついた』

嘉兵衛の生涯に影響した出来事であった。

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[ 2010/05/02 22:50 ] 読書 | TB(0) | CM(0)

無欲であれば誰でも予見は出来る 


「播磨灘物語」を読み終えた。作者・司馬遼太郎はあとがきを次のように書き出している。

【『播磨灘物語』を書きおえた。
ふりかえってみると、最初からべつに大それた主題を設定して書いたわけではなく、戦国末期の時代の点景としての黒田官兵衛という人物がかねて好きで、好きなままに書いてきただけに、いま町角で、その人物と別れて家にもどった、と言うような実感である。】

関が原の戦いで、官兵衛の子である長政が功をなし、徳川家康が豊前中津十数万石から筑前五十二万三千石に引き上げた。官兵衛・如水の指示で、黒田家発祥の地である備前福岡の地名を記念して、福岡と名づけたのである。

福岡に生を受けた者としては幼い頃より聞かされてきた話であり、子供の頃より黒田官兵衛のようでありたいと思ってきたことを今更ながら思い出すのである。隠居してからは「身ハ褒貶毀誉ノ間ニ在リト雖モ心ハ水ノ如ク清シ」あるいは、「水ハ方円ノ器ニ随フ」からとったと言われている如水と号した。

自分の人生に黒田官兵衛の足跡を重ねるとき、この上ない親近感を覚える。一つ一つの困難を解決することにこそ喜びがあり、そのことによる、評価や報酬、名誉などと言うものはどうでも良いのである。少なくとも、自分の周りに大勢の人が居てくれさえすれば・・・ Twitter「つぶやく」ボタン
[ 2010/02/12 23:48 ] 読書 | TB(0) | CM(0)

友人にもつなら、こういう男を持ちたい 


今考えてみると、なぜあの時「播磨灘物語」を手にとったのか? 不思議な気がする。確かに、いろいろと結論を迫られたことがあった。そんな事態を見るに見かねた神から与えられたのだと考えることが妥当である。

いまよりはなるにまかせて行末の春をかぞへよ人の心に

連歌師の昌啄が官兵衛(如水)の通夜の席で読んだ歌だと司馬遼太郎は「播磨灘物語」の最後を結んでいる。官兵衛という人間には、欲というものはほとんどなく、ただ自分の嗜好する芸をこの世でやってみたかっただけな存在であったという。

作中では竹中半兵衛が同じタイプの人間として出会うことになった、人の縁の奇怪さも語られていた。この出会いがなかったら、黒田五十二万石はなかったのであるから。


自分を水の如しと称した黒田官兵衛は、人生、人のかかわり、この世のことは全て水に描いた絵のようなものだと思っていたのではないかと思われる。司馬はあとがきの中で言う『官兵衛はなるほど生涯、時代の点景にすぎなかったが、しかしその意味でえもいえぬおかしみを感じさせる点、街角で別れたあとも余韻ののこる感じの存在である。友人にもつなら、こういう男を持ちたい』と。 Twitter「つぶやく」ボタン
[ 2010/01/24 23:38 ] 読書 | TB(0) | CM(0)

似たもの同士 


前、播磨灘物語(二)は黒田官兵衛が織田信長に傾倒してゆくさまが描かれている。信長に拝謁した官兵衛は、「播州のことは秀吉に相談せよ」と言われ秀吉に会う。秀吉は官兵衛の才を認め、官兵衛も「この男のために何かせねばなるまい」と感じた。ふたりの濃密な関係が始まった。

ここで、黒田官兵衛は秀吉の軍師である竹中半兵衛と出会うこととなるのである。このことを司馬遼太郎は趣のある筆遣いで物語っている。

竹中半兵衛は、播州姫路において、官兵衛とはじめて会った。
(なるほど、似た者だ)
と、半兵衛が何より感じ入ったのは、官兵衛が自分の姫路城を清めて城下の武家屋敷ぐるみ、秀吉に提供してしまったことである。
――利のために武道をおこなうのではない。
ということは半兵衛の信条のようなもので、自分の利を中心に思考をめぐらせばかならず眼識が曇る、武道の面白味はおのれの利や立場を抜いて物事を考えるところにある、と思っているだけに、官兵衛のやり方がいかにもそれに相応していると思った。

(似たような者が、やはり居たのか)
という感動は、半兵衛において大きい。人は自分の欲得を追及するのあまり、頭をひねって手練手管を考えるものなのだが、この手練手管だけを独立させてそれをのみ考えるなど、いわば奇人の世界の精神作業といえるだけに、半兵衛は自分の存在に不安を抱き、孤独の思いも多少あった。ここで、同行の者を見出したということは、美酒が臓腑にしみわたるようなよろこびにひとしい。というより、おなじ道において倶に酔える相手を見出したということであり、さらに平たくいえば、はじめて友人をもつことができたということでもあったろう。

官兵衛のほうも、内心おどろいている。
かれは武道において利己心を除くということでは、半兵衛ほどに徹底して自覚した精神をもっていたわけではない。たとえば姫路城をさっさと空けて秀吉に呉れてやったという放れわざも、官兵衛のもつより大きな構想のためのものにすぎず、その点では半兵衛より俗っ気が多少多いといえるであろう。
もし設問できるとすれば、竹中半兵衛に対し、天下がほしいか、と問いかければ、かれは即座に欲しくないと答えるにちがいない。官兵衛はこの点、違っているであろう。かれはしばらく考えて、なによりも自然にまかせる、自分に稀有な運があり、それが自然にめぐってくるとすれば天下人になってもかまわない、と答えるにちがいなかった。両者の相違は、その程度といっていい。

さらに官兵衛のために言葉を費やせば、天下構想にいたるまでの大小の芸を自分は生涯をかけてしてみたいだけであり、それが自分の目的である。そのあげくのはてに天下が自分の足もとにころがりこんでくれば拾ってもよく、無論ころがりこんで来なくてももともとであり、自分の人生はそれなりに充足している、元来、天下の主になれるというのは天の意志としか言いようのない無数の条件の積みかさなりがなければならないが、その天の意志までは自分は足掻いてもとめようとしない、というところであるであろう。

ともあれ、それとは別に、羽柴秀吉はおそろしいばかりに幸運な男といわねばならなかった。この播州平定を目的とする信長の部将は、それまでの歴史のなかで幾人もいない天才的戦術家を、同時に二人もその帷幕において所有したのである。

豊臣秀吉の天下統一。名軍師と言われた、竹中半兵衛重治と黒田官兵衛孝高を抜きにして語ることは出来ない。この二人は、互いの才を認め合い、相手を信頼し合って、秀吉の天下取りを補佐したのである。二人の出発点がこの本で描かれている。秀吉が織田家の中国遠征総司令官に任じられた播州でのこの出来事からなのである。 Twitter「つぶやく」ボタン
[ 2010/01/14 23:07 ] 読書 | TB(0) | CM(0)
プロフィール

Author:windofsyuyu
ご訪問ありがとうございます!
四住期の教えでは、林住期は仕事を離れ哲学にふける時期だそうです。世の中は変革期、豊かな社会が訪れますように!

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