◆◆ 由無し事 ◆◆

心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば・・・・・

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やっぱり、醤油味 

福岡のお土産といえば「辛子明太子」が浮かぶ。いわゆる福岡名物である。その他「ひよこ」をはじめとする銘菓。近年は「焼酎」そして「モツ鍋」である。

最近は変に懲りすぎていて、食べ初めのころのおいしい醤油味のものに出会う機会がなかなかなかった。高校時代の友人R君が天神で始めたころの・・・。

むしろ東京・新橋の駅前ビルの地下街にある「博多もつ鍋 がんこ」はその味で人気店である。中目黒の名店『鳥小屋』の姉妹店であり、そちらもモツ鍋の味は全く同じである。

福岡・大名に「味味(みんみん)」というのがある。その歴史は30年に及ぶという。今までなんで気がつかなかったのであろうか?考えてみれば、R君や谷地君が「モツ鍋」屋をやっていたので、福岡では他は及びでなかったのである。今後はここかなア・・・。
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[ 2008/06/29 18:22 ] 福岡 | TB(0) | CM(0)

大国のはざまで 

国家の主権が蹂躙された「拉致問題」も大国のエゴの前で置き去りにされようとしている。26日には北朝鮮に対する「テロ支援国家」をアメリカが解消すというのである。4年間何の成果もあげることのなかったアメリカ・ブッシュ政権と北京五輪間近の中国の面子の為に。

北朝鮮は流石外交上手である。このタイミングを見透かして「核計画申告」を実施すというのである。日本はあいも変わらず外交下手、またしても外交敗北である。大国の思惑に振り回された第二次世界大戦前と状況は変わっていない。

「和をもって尊しとなす」「話せば分かる」、なんと悠長な姿勢か?そんな理屈は日本国内では通じても、世界では通じない。外交は常に「balance of power」で決まる。つまり、保有する軍事力なければ何を言っても空虚なのである。

全く戦争を想定しない「自衛隊」などを組織してアメリカの軍事産業に国民の貴重な財産をつぎ込む国家。主権が侵されても「力づくででも」拉致被害者を取り戻そうという気概すらない国民。そんなものは「国家」とは言わない。 Twitter「つぶやく」ボタン
[ 2008/06/24 21:14 ] 政治 | TB(0) | CM(0)

勝負は下駄を履くまで 

テレビ・地上波でのプロ野球中継がめっきり減ってしまった。そもそも試合の途中を申し訳程度中継するのだから、見る方も結末を見れない"不満足感"で見ること自体に興味を失ってしまう。

今日はNHKが東京ドームの試合にもかかわらず巨人-ソフトバンク戦を中継した。試合開始直後から途中ニュースに時間は中断するもののほぼ完全中継である。

試合は9回裏大道の同点ホームランで延長戦に。そして12回表ソフトバンク・松田の勝ち越しホームラン。これで決まり?しかし、その裏巨人は古城、鈴木、木村の三連打で逆転サヨナラ勝ちした。当然NHKは最後まで中継。結末を見れて満足だ。

それにしても"勝負は下駄を履くまで判らない"の通りの試合だった。少子高齢化が最大の社会問題であるが、野球のルールが理解できない子供が増えているという。複雑すぎるというのである。我々゛団塊の世代=野球少年"に言わせれば情けない話である。 Twitter「つぶやく」ボタン
[ 2008/06/21 23:55 ] スポーツ | TB(0) | CM(124)

しっかりしろ日本! 

ブラジル移民船「笠戸丸」が1908(明治41)年6月18日に、日本からの移民第一陣を乗せて、サントス港に入港して100年目を迎えた。その後も次々とブラジルに渡った我々の先輩たちは悪戦苦闘して、現在の日系人の地位を確立したのである。

その6月18日、西日本新聞は朝刊で「ブラジルへ続く『飛天地』」と題して、福岡県大刀洗町からブラジルに渡った約300人の隠れキリシタンの末裔たちのその後を伝えている。
福岡県は全国でも三番目に多い約二万五千人のブラジル移民を送り出した。その大半を厳しい小作制や河川の氾濫に苦しめられた筑後川流域の出身者が占める。そうした歴史をひもとくうち、ある史実に行き当たった。
明治から大正をまたぐ二年間に、筑後平野のただ中、福岡県大刀洗町から約300人の隠れキリシタンの末裔たちがブラジルに渡ったという。18日は、日系移民がブラジル・サントス港に初上陸して百年の節目。大刀洗町を訪ねた。

16日早朝、隠れキリシタンの伝統を受け継ぐ今村カトリック教会(大刀洗町)では約五十人の信徒たちが祈りをささげた。「ブラジル行きの渡航の安全を祈って、アーメン」。移民百年を記念して町から六人が18日、親せき縁者に面会するためブラジルへ渡航するのだ。

大刀洗町の人口は約一万五千五百人。田園地帯の中に保育園や老人ホームなど教会関連施設や雑貨屋、民家などが肩を寄せ合うように並ぶこの町は、驚くほどに国際的だ。大正時代から朝夕にネルドリップで入れたコーヒーを飲み、「ママイ(母さん)」「パパイ(父さん)」「ドミンゴ(日曜日)」など、筑後弁にポルトガル語が散らばった不思議な言語習慣が残る。

今回のブラジル訪問団の団員の一人、平田文雄さん(77)によると、町から1912年-13年の二年間に約三百人の信徒がブラジルに移住した。小作農家であるがための貧困に加え、「異教徒」への偏見や差別から、信仰の完全な自由を得たいという動機もあったという。

1908年に出港した第一回ブラジル行き移民船「笠戸丸」のうわさは、大刀洗にも伝わってきていたようだ。近隣の集落では北米やハワイへの移住者が帰国後、瓦葺きの屋敷を建て「アメリカ屋」などともてはやされてもいた。「ブラジルちゅう国には、えらい広か土地が待っとるらしい」。一攫千金を夢見ながらも、地の果て行きとも思える渡航に二の足を踏む村人たちに、今村教会の当時の神父・本田保(1855-1932年)は穏やかに語ったという。「カトリックの国だから、安心して行きなさい」

海を渡った信徒たちの九割は、再び大刀洗の地を踏むことはなかった。契約農園で苦しい労働に耐え、信仰を守り故郷を思いながらブラジルに根を下ろしていった。一握りの帰国組はコーヒー文化やブラジルの公用語であるポルトガル語を故郷に伝えた。

明るいニュースといえば、新しい世代の誕生だった。信徒の子息としてブラジルで生まれた初の二世、平田ジョン進(1913-74)は日系社会が誇る英雄として語り継がれている。一世たちの期待を背に、ブラジル最高学府であるサンパウロ大学法学科を卒業後、東京大学に留学。その後ブラジル連邦議員として日系初の政治家となった。大統領候補とも目されたが74年、遊説中に自動車事故で急逝。翌年、日本政府は生前の功労に対し勲二等瑞宝章を贈っている。

80年代以降は、ブラジルに生まれ育った三、四世たちが留学生として来日、ルーツを探して大刀洗を訪れるようになった。平田文雄さんを会長に、かって移民を送り出した家族・親せきで作る福岡県海外移住両筑地域家族会は、祖先の影を重ね合わせるように留学生たちを歓迎し、もちつきや茶会に誘って日本文化を紹介する。

「若い子孫はみんな高学歴」と目を細めながら、平田さんは「日本とブラジルの将来ば背負う立派な人間になれ、ちゅうて励ますとです」と話す。

かって、長崎の宣教師が「キリストの飛天地」と呼んだ大刀洗の地は、今また、遠くブラジルへ続く飛天地として異彩を放ち続けている。(平原奈央子

久留米、小郡に住んでいたころ今村教会へは2~3度行った事がある。このような歴史があったとは考えても居なかった。もう一度機会があれば是非訪れてみたいものだ。

同じ西日本新聞、「春秋」欄の結びはまさに今を突いている。
・・・・<略>
最初の移民船が着いて百年。異国で根を張った勤勉さと誇りは、それを生んだ細り行く。そんな今昔図も百年は描き出す。父祖の地に向けて「しっかりしろ日本」の声が海を渡って聞こえてくる。
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[ 2008/06/18 23:52 ] 生活・文化 | TB(0) | CM(0)

外交音痴のきわみ 

北朝鮮が「よど号犯」の引渡しと拉致被害者の再調査を約束したので、制裁の一部を解除するという方針を政府は打ち出した。この問題でも現政権の当事者能力のなさが露呈している。拉致被害者の会への報告は官房長官の発表と全く同じという。だったらわざわざ内閣府へ呼び出して「勿体」をつけることもなかったであろう。

よど号犯とその妻たち、小西隆裕(63)、若林盛亮(もりあき)(61)、赤木志郎(60)、魚本(旧姓・安部)公博(60)、森順子(よりこ)(55)、若林佐喜子(53)の引渡しを北は言っているようである。どう見てもアメリカに対するポーズにしか見えない。金日成の生前の発言を無視してこいつらを日本に引き渡すこともないであろう。北朝鮮で「野垂れ死」すればよいではないか。帰国させて食わしてやることはない。

拉致被害者家族会の飯塚繁雄代表は政府の説明を受けた後の記者会見で北朝鮮の口約束の『再調査する』は今まで3、4回も聞いた」と不満を表明している。もしそうだとして、誰がその調査をチェックするのか?古館なんかはしたり顔でコメントしているが。当然、家族会は日本政府が対北制裁の一部解除を決定したことに「政府方針の転換では」と不満である。
田口八重子さん=失跡当時(22)=の兄で家族会代表の飯塚繁雄さん(70)は会見で「必ずしも満足していない。制裁強化を訴えてきたが、北朝鮮が交渉のテーブルに着いたと評価し、制裁を一部解く結論になってしまった」と述べた。

横田めぐみさん=同(13)=の弟哲也さん(39)も「これまで日本は北朝鮮に散々だまされているので、再調査が実行されるか不安。テロ支援国指定を外すのが最大目的で、日朝交渉の改善はパフォーマンスと感じた」と不信を口にした。

増元るみ子さん=同(24)=の弟照明さん(52)は「政府は拉致問題の『進展』『前進』のハードルを下げた。方針転換したのではないかと感じている」と強い口調で批判した。

増元さんとともに拉致された市川修一さん=同(23)=の兄健一さん(63)は「一歩踏み出したと斎木局長が言ったことを信じている。一刻も早く(被害者を)取り戻してほしい」と期待をにじませた。(時事通信

アメリカに対する北朝鮮のポーズに悪乗りして、あたかも進展があったかのごとく国民を愚弄する現政権はいったい何なんだ!今回も人を馬鹿にしたようなフクダの記者会見。当事者能力のない現政権を退陣させられない日本国民っていったい何なのか?「牛肉の問題」の韓国民の行動を見習うべきだ。 Twitter「つぶやく」ボタン
[ 2008/06/13 23:38 ] 国際 | TB(0) | CM(0)

隔世の感 

朝刊に眼をやると、北九州地方は明後日ごろ梅雨入りだそうだ。異常気象のせいか国内で梅雨入りしていないのはここだけである。やはり九州は亜熱帯なってしまったということか?

雨の気配はなく、ぶらりと出かけてみることにした。たまには、気分転換・・・必要なことだ。東比恵から福岡市営地下鉄で西新へ行ってみることに。車で通ることはあったが、歩くのは久しぶりである。見慣れた街のはずであったが様相が一変していた。

修猷館の脇を通って西南学院大のキャンパスへ。昔、7年間このあたりをうろついていたのだが、雰囲気が違うのはなぜだろう。高校も大学も校舎が建て変わり、当時の面影はない。大学の1号館の脇にあったはずの祖父が書いた記念碑も見当たらない。

キャンパス内を探してみたが判らず、西南学院バプテスト教会に行ってみた。祖父が亡くなるまで勤めていたところである。やっと懐かしい風景が目の前に現れた。教会の正面から祖父が笑いながら出てきそうな・・・そんな気がした。40年はやはり長い時間である。自分も当時の祖父の年齢に確実に近づいていた。 Twitter「つぶやく」ボタン
[ 2008/06/07 20:29 ] 福岡 | TB(0) | CM(0)

旅立ったのは済々黌定期戦の前だったネ 

谷地正敏君、修猷館野球部の一年後輩である。今の名は"天祥院清昇正信居士"、6年前黄泉の国へ旅立っていった。過日、彼の奥さんから七回忌を営んだとの便りがあった。5月24日に修猷館のグランドでは済々黌との定期戦が行われた。君が旅立ったのはその定期戦の前日だったと記憶している。

昭和63年、久留米球場に10年ぶりぐらいに修猷の野球の試合を観戦に行った。その時、監督の衛藤君からコーチへの誘いがあり、後日グランドに足を運んでみると、そこに谷地君もコーチとして参加していたのである。高校卒業以来の再会であった。

それから10年間修猷のコーチとして公私共のお付き合いになった。朴訥な中にも真理をついた彼の言葉が今でも耳を離れないのである。その言葉がヒントとなって色々なアイデァが湧き出したことを今でも忘れられない。平成元年福岡県大会ベストフォーは最高の思い出です。

その後、西南学院大学のコーチを引き受け彼を誘ったとき、「先輩でもないのによかとですか?」と言いながらも熱心に指導してくれたことも今でも忘れられない。その内また、野球のこと、人生のことを熱く語ろう!(谷地正敏君の七回忌に) Twitter「つぶやく」ボタン
[ 2008/06/02 22:12 ] 福岡 | TB(0) | CM(0)
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Author:windofsyuyu
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