◆◆ 由無し事 ◆◆

心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば・・・・・

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御慶(ぎょけい) 


今年の年末ジャンボ宝くじの販売も昨日で終了した。後は晦日の抽選を待つばかりである。枝雀師匠のマクラではないが、「宝くじには買わないとあたらない・・・という法則」があるらしいのである。宝くじ売り場の行列を見れば、不況はどこ吹く風、一攫千金を夢見る人達で、順調な売り上げであったに違いない。

庶民の気持ちは昔も今もそう代わりのないものである。落語・「御慶」。『年の瀬も越しにくい貧乏所帯なのに、八五郎は今度こそ夢見がいいからと、女房の半纏《はんてん》を質入れして湯島天神へ出向き、夢で鶴が梯子の上に止まったというので、鶴とその寿命の千を入れた「鶴の千八百四十五番」の富くじを求めるが、あいにく売れてしまっていた。大道易者に呼び止められ、その夢判断は違う、梯子は登るための道具だから、逆に「鶴の千五百四十八番」にしろと教えられ、神社にとって返し、さいわいに売れ残っていたその札を買う。間もなくはじまった突き富で、八五郎は千両に当たる。』

ところでこの落語の落ちは、新年の挨拶として「御慶」と言いながら歩いていると、「どこへ(行ってたのか)」と聞き違えられるというもの。落語にはこの「御慶」以外にも、「富久」「宿屋の富」、「水屋の富」など、色々あります。「クジ」に対する考え方は、昔も今もあまり変わらないようです。

ともあれ、買わなかったのであるから当たることはないのである。買った人の誰かが当たるのである。宝くじが当たろうが、当たるまいが、新年はめでたいものなのである。そして、その新年まで一週間あまり、新しい仕事に全精力を傾け、来年3月頃迄にはある程度の確信が持てるようにしたいものである。
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[ 2009/12/23 23:17 ] 生活・文化 | TB(0) | CM(0)

結跏趺坐して 


今年も残り僅かとなりました。時間の経過が年をとるにしたがって早くなっているように感じます。今年を振り返ってというには、まだちょっと・・・新しい事業に向けてじっくり結跏趺坐して構想してみたいと思っています。

司馬遼太郎は「播磨灘物語」で主人公・官兵衛を次のように表述しています。『かれは、二十歳のころにすでに後の官兵衛のかたちができていたが、それよりもおかしいのは、年を経るに従って若気のようなものが出てきて、晩年になると、青年のように颯爽としはじめ、しかも最後まで自分の成功に甘んじたことがなく、天下人を志す夢をすてなかった』と。

戦国末期の点景であった官兵衛の生き方は、以前より、私の目標でありました。細川藤孝の「今後、どこを頼ればよろしかろう」との問いかけに、官兵衛は「織田どのがよろしかろう」と即座に答える。勿論、直感的であったにせよ、自分の足で集めた情報に裏づけされてのことであったのである。

「門地門閥、生国によらず人材を登用する」「旧習にとらわれない兵法を用いる」等で「織田どのがよろしかろう」と答えたのである。構想に当たって、主観的要求に固執するあまり、客観的情勢への判断を誤ってはならないということである。全ては、人(駒)組みにかかっているという事なのであろう。
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[ 2009/12/19 22:42 ] 読書 | TB(0) | CM(0)

平成8年以来・・・ 

中学時代の同級生が久しぶりに集まりました。前回は平成8年であったというから、本当に久しぶりです。(平成8年9月28日:勝っ手同窓会

今回は、還暦を契機にあちこちで同窓会が開催されているのに、ポケモンクラブはその兆候さえない!ということで、近々同窓会をやろうではないかと有志が参集したのである。

集まってみれば4名(実際はドタキャンが一人)でしかなかったのはちょっと寂しかったかな。福岡・天神の「雑魚屋」に藤井さんの呼びかけで、小出(旧姓・川崎)さん、有吉(旧姓・島田)さんそれに不肖・伊藤が集まったという次第。

集まれば、そこは同窓生、話題に事欠くことはありません。欠席裁判?か、参加していない人のことを肴に延々2時間半、時のたつのも忘れて楽しいひと時を過ごしました。

ブログをあげるにあたって、自分のホームページを再確認してみたら、なんと平成16年9月8日のところに"NEW"のマーク! でも昔は一生懸命HP作りに励んでいたのに、今は頭が剥げただけとは情けなや!⇒(会員便り) 友泉中学・ポケモンクラブの紳士・淑女の皆さん昔の自分に出会えますぞ!
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[ 2009/12/15 00:10 ] 福岡 | TB(0) | CM(0)

昔の高校球児、今は? 

1941年12月8日未明、休日の日曜日を狙って、日本海軍はハワイオアフ島真珠湾のアメリカ海軍の太平洋艦隊基地に対し奇襲攻撃を敢行した。この攻撃によって、日本は第二次世界大戦という暗黒の狭間に足を踏み入れる結果となったのである。

その12月8日に、福岡工業高校OBの西村、竹島、博多工業高校OBの高木、安芸、修猷館高校OBの田中、野口、伊藤の7名が西中洲の「上海餐室」に集合した。

昭和22年、23年生まれの所謂団塊の世代である。作家の堺屋太一氏が1976年に発表した小説「団塊の世代」で、この世代が日本社会に及ぼす大きな影響を指摘したのである。
第二次世界大戦の終結に伴って復員した旧日本兵、軍属が各々婚姻をなし、人口が爆発的に増大することとなったのである。1947年から1949年に生まれた人口が突出する結果となった。

この世代が2007年から2009年にかけて一斉に定年退職を迎えたのであり、我々はまさにその世代なのである。福岡市内の高校で白球と戯れた面々が思い出話に花を咲かせ、打解け合うには時間は必要なかった。各人の思い出は断片的ではあっても、会が終わる頃には一つの物語が出来上がっているのである。次回、参加者を増やそうということで散会となった。

子日(いわ)く、吾(われ)十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず。
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君たちがいて僕がいた 


明治・大正の頃、大変素人義太夫が盛んだったようである。落語・寝床では枝雀志ん朝もマクラではカラオケである。よくカラオケで歌われる、我々、団塊の世代の青春の一曲は「高校三年生」である。作詞・丘灯至夫、作曲・遠藤実、歌・舟木一夫である。

詞を作った丘氏、作曲の遠藤氏と相次いでこの世を去った。このコンビによる爽やかな青春歌謡は永久に歌い継がれるであろう。最近の流行歌は、歌詞に横文字が訳もなく入っていたり、言葉自体の趣もない。

CD・ドーナツ盤メモリー~舟木一夫 / 舟木一夫 に収められている曲は、1.高校三年生、2.水色のひと、3.修学旅行、4.淋しい町、5.学園広場、6.只今授業中、7.仲間たち、8.はるかなる山、9.君たちがいて僕がいた、10.青春はぼくらのもの、11.花咲く乙女たち、12.若き旅情、13.北国の街、14.はやぶさの歌、である。

舟木一夫のCDを買うようになったのは、同居していた従兄弟がファンだったからである。それから現在まで、各曲にはいろいろな人との思い出がある。特に、【清らかな青春 爽やかな青春 大きな夢があり かぎりないよろこびがあった はかない希みがあり つらい別れもあった そんな時はいつも… 母にも似た 優しい 目差しの 君たちがいて そして 僕がいた】で始まる『君たちがいて僕がいた』を忘れられない。
清らかな青春 爽やかな青春
大きな夢があり
かぎりないよろこびがあった
はかない希みがあり
つらい別れもあった
そんな時はいつも…
母にも似た 優しい 目差しの
君たちがいて そして 僕がいた

心の悩みを うちあけ合って
眺めたはるかな 山や海
言葉はつきても 去りかねた
そんなときには いつの日も
ああ 君たちがいて 僕がいた

涙をこぶしで ぬぐっていたら
遠くでこっそり 見つめてた
あの娘の瞳も ぬれていた
そんな日昏れも あったけど
ああ 君たちがいて 僕がいた

さよならする日は 肩くみあって
しあわせ信じて うたおうよ
大人になるのは こわいけど
そんなときにも 離れずに
ああ 君たちがいて 僕がいた
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[ 2009/12/06 16:45 ] 生活・文化 | TB(0) | CM(0)

播磨灘物語 

雨のせいではないのであろうが、午後4時の東京は街の灯りが目立つ風景となった。福岡より40分ほど早い気がする。

福岡を出発する際に購入した「播磨灘物語」を読んでいる。司馬遼太郎の作品で文庫本では4冊である。黒田官兵衛の物語である。この作品も司馬らしく史実を忠実に辿り、虚構を排除している。

書き出しである。
【通称は、官兵衛。Quanfioyeと、戦国末期に日本に来たカトリックの宣教師の書簡には表音されている。当時の発音ではくゎんひょうえ、と正確に発音されていたのであろう。
かれの呼称はいろいろあった。名前は孝高で、洗礼名はシメオンである。入道してからは如水といった。水の如し。彼はこの名前を好んでいたために、後世も、黒田如水のほうが通りがよくなった。
黒田官兵衛のことを書こうとおもっているうちに、官兵衛以前に黒田家がほそぼそとすごしてきた戦国の歳月のほうに魅かれてしまった。】
まず黒田家の家譜について如水にいたるまでを辿っている。

福岡という地名が黒田の出身地に由来することは知っていた。備前福岡である。備前平野を流れる吉井川の流域である。隣接する長船町とともに数多くの刀の名工がいたことでも有名である。吉井川上流の中国山地で採集される砂鉄が日本刀を作るのに適していたためこの地区に刀鍛冶の集落が出来たのであろう。

「播磨灘物語(一)」を読み進むうち、モノレールが羽田空港に到着した。今、NHKのドラマで「坂の上の雲」が話題となっている。司馬遼太郎の原作である。時代の節目に話題を提供する司馬の作品には奥深いものを感じる。福岡で生活するものとして黒田家の関する小説に増々興味がわいてくるのである。 Twitter「つぶやく」ボタン
[ 2009/12/05 22:11 ] 読書 | TB(0) | CM(0)
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