◆◆ 由無し事 ◆◆

心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば・・・・・

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友人にもつなら、こういう男を持ちたい 


今考えてみると、なぜあの時「播磨灘物語」を手にとったのか? 不思議な気がする。確かに、いろいろと結論を迫られたことがあった。そんな事態を見るに見かねた神から与えられたのだと考えることが妥当である。

いまよりはなるにまかせて行末の春をかぞへよ人の心に

連歌師の昌啄が官兵衛(如水)の通夜の席で読んだ歌だと司馬遼太郎は「播磨灘物語」の最後を結んでいる。官兵衛という人間には、欲というものはほとんどなく、ただ自分の嗜好する芸をこの世でやってみたかっただけな存在であったという。

作中では竹中半兵衛が同じタイプの人間として出会うことになった、人の縁の奇怪さも語られていた。この出会いがなかったら、黒田五十二万石はなかったのであるから。


自分を水の如しと称した黒田官兵衛は、人生、人のかかわり、この世のことは全て水に描いた絵のようなものだと思っていたのではないかと思われる。司馬はあとがきの中で言う『官兵衛はなるほど生涯、時代の点景にすぎなかったが、しかしその意味でえもいえぬおかしみを感じさせる点、街角で別れたあとも余韻ののこる感じの存在である。友人にもつなら、こういう男を持ちたい』と。
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[ 2010/01/24 23:38 ] 読書 | TB(0) | CM(0)

隔世の感ありて 

巨人、阪神で投手として活躍した小林茂氏が17日急逝した。奇しくも阪神淡路大震災の15年目の日であった。小林氏はサイドハンドのピッチャーとしてその投球スタイルは、多くのその種のピッチャーが技巧的投球を行う中、闘志を体全体で表現する熱血派であった。

小林氏といえば江川氏との運命的な係わりを思い出さずにはいられない。「巨人・大鵬・玉子焼き」といわれた巨人人気の陰りとなった事件である。「空白の一日」で巨人と契約した江川氏の身代わり?として小林氏が阪神に電撃トレードとなった事件である。

その後小林氏はその投球スタイルそのままに闘志むき出しのピッチングで、巨人戦では連勝を重ねた。その端正な顔立ちからは想像もできないファイトであった。

しかし、この世の中は無常なものである。日本ハムの一軍のピッチングコーチとしてこれからますますの能力が発揮されようとするとき他界してしまった。江川氏や長嶋巨人名誉監督のコメントを見てみると、人の係わりの数奇さを感じざるを得ない。これでまた、ひとつの時代に終止符が打たれることとなった。
▼巨人長嶋終身名誉監督 

突然の訃報に大きなショックを受けています。1976、77年のリーグ優勝に大きく貢献してくれたことを鮮明に覚えています。細身の体からは想像もつかないくらいスタミナがあり、ベンチにとって本当に頼りがいのある投手でした。正直に言うと、阪神へトレードになったことは残念な思いでいっぱいです。現場の監督として悪いことをしてしまったという気持ちがいまだに残っています。若すぎる、早すぎる最期です。

江川氏「僕の中ではまだ終わっていない

沈痛な面持ち。目には涙をためていた。午後10時。日本テレビ内で会見した元巨人の江川卓氏(54)は時折、声を詰まらせて言った。

 「突然の死でびっくりしました。今年から日本ハムで1軍のコーチになられるということで、また球場に行ったら、お会いするんだろうなとは思っていたんですけど……。大変残念です」

 プロ野球界を揺るがした江川事件。当事者として小林氏を巻き込んだ責任は忘れたことはない。電撃トレードから1年後の80年1月だった。東京・飯倉のステーキ店で偶然顔を合わせ、あいさつしようとしたが手で制された。そして同年8月16日の初対決。雨の後楽園で完投勝利を収めた。

 「一生の中で負けるわけにはいかない試合は2つ、3つある。そういう試合で勝つことができて小林さんに恩返しできたと思う」。直接対決は7勝2敗。一方で通算成績は自身の135勝に対し、小林氏は139勝。「入団の時から小林さんの成績を抜かないといけないという思いでやってきましたが、抜けなかった」と振り返った。

 現役時代2人だけで言葉を交わすことはなかったが、07年9月に酒造メーカー「黄桜」のCMで共演。トレードから28年後の和解だった。「その時におわびしました。“お互い大変だったな”という言葉をもらい、凄くホッとした」。結局、それ以来再会を果たせず、小林氏は逝った。

 江川氏は唇をかみしめながら言った。「僕の中では(江川事件は)まだ終わっていない。原因はこちらにある。小林さんが亡くなったからといって、申し訳ないという気持ちは一生なくならない」。小林氏のために何ができるか。自問自答した。「小林さんが残したプロ野球の実績、気持ちが凄く強い方だったので、そういうものは伝えていけたらと思います」

 夜には自身がキャスターを務める日本テレビ「SUPERうるぐす」で天国の小林氏へメッセージを送った。「もう1回投げ合ってみたいですね。全力で」。54歳。江川氏は小林氏の生きざまも背負い、生きていく。

 ≪07年9月CMで再会≫2人が再会した酒造メーカー「黄桜」のCM撮影は、07年9月に都内で行われた。台本は一切なし。4台のカメラの前で、それぞれの思いを語り合った。「お互いきっかけを探していた。憎しみはもうないよ」と小林氏。撮影は66分間におよび「これからは会ったらオレから声を掛けるよ」とも話した。一方、江川氏は再会の際に「長い間、本当に申し訳ありませんでした」と謝罪。テレビ番組内で撮影を振り返った時には「大変緊張した。会えてよかった…」と涙した。

スポニチ

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[ 2010/01/19 11:55 ] 野球(プロ野球・MLB) | TB(0) | CM(0)

伯母の五十日祭で 

昨日と今日はこの季節には珍しく穏やかな日和となった。筑肥線・波多江駅で下車し、昔のように泊まで歩いてゆくことにした。伯母の五十日祭に出席するためである。昔は何もないところであったが最近「糸島ハム」でその地名を知る人も増えたとは聞いている。

歩き始めてしばらくすると、眼前の田園風景とともに視界が開けた。左手前方には「筑紫富士」や「糸島富士」とも呼ばれる可也山の美しい姿が見える。目指す泊は正面の小高い森が見えるあたりである。

事前に予定したとおりの時刻に到着である。昔、祖母に連れられて何度も今日のルートで母の実家を訪ねたときの記憶が生きていたということなのであろう。宗旨が「神道」なので今日の五十日祭で忌明け、納骨ということになるのである。

会場に入ると懐かしい顔が並んでいる。みんな年をとってはいるが、以前の面影はそのままである。儀式が終わると、昔の話でもちきりとなった。改めて親戚とはよきものであると思う。生んでくれた母に心の底から感謝したい気持ちで一杯であった。
幽世の大神 憐み給ひ 恵み給へ 幸魂 奇魂 守り給へ 幸へ給へ
(かくりよのおほかみ あはれみたまひ めぐみたまへ
さきみたま くしみたま まもりたまへ さきはへたまへ)

幽世の大神 憐み給ひ 恵み給へ 幸魂 奇魂 守り給へ 幸へ給へ

幽世の大神 憐み給ひ 恵み給へ 幸魂 奇魂 守り給へ 幸へ給へ

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[ 2010/01/17 23:46 ] 家族 | TB(0) | CM(0)

似たもの同士 


前、播磨灘物語(二)は黒田官兵衛が織田信長に傾倒してゆくさまが描かれている。信長に拝謁した官兵衛は、「播州のことは秀吉に相談せよ」と言われ秀吉に会う。秀吉は官兵衛の才を認め、官兵衛も「この男のために何かせねばなるまい」と感じた。ふたりの濃密な関係が始まった。

ここで、黒田官兵衛は秀吉の軍師である竹中半兵衛と出会うこととなるのである。このことを司馬遼太郎は趣のある筆遣いで物語っている。

竹中半兵衛は、播州姫路において、官兵衛とはじめて会った。
(なるほど、似た者だ)
と、半兵衛が何より感じ入ったのは、官兵衛が自分の姫路城を清めて城下の武家屋敷ぐるみ、秀吉に提供してしまったことである。
――利のために武道をおこなうのではない。
ということは半兵衛の信条のようなもので、自分の利を中心に思考をめぐらせばかならず眼識が曇る、武道の面白味はおのれの利や立場を抜いて物事を考えるところにある、と思っているだけに、官兵衛のやり方がいかにもそれに相応していると思った。

(似たような者が、やはり居たのか)
という感動は、半兵衛において大きい。人は自分の欲得を追及するのあまり、頭をひねって手練手管を考えるものなのだが、この手練手管だけを独立させてそれをのみ考えるなど、いわば奇人の世界の精神作業といえるだけに、半兵衛は自分の存在に不安を抱き、孤独の思いも多少あった。ここで、同行の者を見出したということは、美酒が臓腑にしみわたるようなよろこびにひとしい。というより、おなじ道において倶に酔える相手を見出したということであり、さらに平たくいえば、はじめて友人をもつことができたということでもあったろう。

官兵衛のほうも、内心おどろいている。
かれは武道において利己心を除くということでは、半兵衛ほどに徹底して自覚した精神をもっていたわけではない。たとえば姫路城をさっさと空けて秀吉に呉れてやったという放れわざも、官兵衛のもつより大きな構想のためのものにすぎず、その点では半兵衛より俗っ気が多少多いといえるであろう。
もし設問できるとすれば、竹中半兵衛に対し、天下がほしいか、と問いかければ、かれは即座に欲しくないと答えるにちがいない。官兵衛はこの点、違っているであろう。かれはしばらく考えて、なによりも自然にまかせる、自分に稀有な運があり、それが自然にめぐってくるとすれば天下人になってもかまわない、と答えるにちがいなかった。両者の相違は、その程度といっていい。

さらに官兵衛のために言葉を費やせば、天下構想にいたるまでの大小の芸を自分は生涯をかけてしてみたいだけであり、それが自分の目的である。そのあげくのはてに天下が自分の足もとにころがりこんでくれば拾ってもよく、無論ころがりこんで来なくてももともとであり、自分の人生はそれなりに充足している、元来、天下の主になれるというのは天の意志としか言いようのない無数の条件の積みかさなりがなければならないが、その天の意志までは自分は足掻いてもとめようとしない、というところであるであろう。

ともあれ、それとは別に、羽柴秀吉はおそろしいばかりに幸運な男といわねばならなかった。この播州平定を目的とする信長の部将は、それまでの歴史のなかで幾人もいない天才的戦術家を、同時に二人もその帷幕において所有したのである。

豊臣秀吉の天下統一。名軍師と言われた、竹中半兵衛重治と黒田官兵衛孝高を抜きにして語ることは出来ない。この二人は、互いの才を認め合い、相手を信頼し合って、秀吉の天下取りを補佐したのである。二人の出発点がこの本で描かれている。秀吉が織田家の中国遠征総司令官に任じられた播州でのこの出来事からなのである。 Twitter「つぶやく」ボタン
[ 2010/01/14 23:07 ] 読書 | TB(0) | CM(0)

ちあきなおみの歌で酔う 


毎年、年末は恒例の歌番組がテレビを席巻する。「日本レコード大賞」「NHK紅白歌合戦」等々である。そんな中、NHK・BS2で2009年12月31日にちあきなおみの「歌伝説 ちあきなおみの世界」の再々?放送が放映された。

ちあきなおみが放送に出演しなくなって久しい。そんな彼女の貴重な映像が特集で放送されたのは05年11月6日であったらしいが、そのときは見逃してしまったので今回じっくり見ることにした。やはり歌の上手さは美空ひばりに匹敵する歌手であることを改めて確認できた。

彼女の歌で一番衝撃を受けたのは「霧笛」である。ポルトガルに生まれた民族歌謡である。ファドとは運命、または宿命を意味し、このような意味の言葉で自分たちの民族歌謡を表すのは珍しいとされる。「霧笛」はまさにその歌なのである。ちあきなおみはこの歌においても自分の世界をみごとに演じ切っている。

演歌では船村徹が作曲家として主張したいことを見事に表現する。「さだめ川」、「酒場川」、「矢切の渡し」、個人的には「紅とんぼ」「歳月河」「昭和エレジー」「都の雨に」が好きである。ニューミュージックのアーティストに楽曲提供を受けたものでは、中島みゆきの「ルージュ」、友川かずきの「夜へ急ぐ人」、飛鳥涼の「伝わりますか」などがあり、どの曲も見事に演じきっている。それにしても「霧笛」は圧巻である。


ちあきなおみ 非公認・私設ファンサイト ちあきの部屋

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[ 2010/01/05 19:35 ] 生活・文化 | TB(0) | CM(0)
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Author:windofsyuyu
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