◆◆ 由無し事 ◆◆

心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば・・・・・

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出発点はここ 

日本橋ここは日本の全ての道の出発点である。新潮社版、江戸東京物語(都心篇)に日本橋は次のように紹介されている。

道のりの総元締は日本橋

元禄3(1960)年に長崎のオランダ商館医師として来日したドイツ人のケンペルは、日本の街道が意外によく整備されているのにびっくりしている。
《これらの街道には、旅行者に進み具合がわかるように里程を示す標柱があって距離が書いてある。江戸の代表的な橋、特に日本橋つまりヤーパンの橋と名付けられている橋を一般の基点としているので,旅行中自分たちがこの橋または首都からどれだけ離れているかを、すぐ知ることができる。》(『江戸参府旅行日記』平凡社東洋文庫)

元禄14年3月14日、江戸城中で浅野内匠頭が吉良上野介に対して刃傷に及ぶ事件が発生した。国許へ急を知らせるため早打ちカゴで原惣右衛門らが播州赤穂へ向かった。昼夜兼行のゆられ通しで国許家老の大石良雄邸へたどりつくのが19日。155里(約620㌔)
を5日足らずで走っているから、一日120㌔強のスピードになる。

当時東海道で一番の特急便は幕府直営の継飛脚だ。飛脚のリレーだが、最高56時間つまり2日と8時間で江戸から京都まで約500㌔を駆け抜けている。

道のりの総元締めは日本橋》と川柳にあるように、一里塚もそこから数えて一里ごとに設けられ、目じるしに榎を植えた。最初に日本橋が架けられたのは慶長8(1603)年というから、徳川家康が江戸に幕府をひらいた年にあたる。

江戸時代はもちろん木橋だったから、何度も火事に遭っている。現在のルネッサンス式石橋は明治44(1911)年にできたもので、長さは49.1㍍、幅は27.3㍍。欄干に麒麟と獅子の青銅像が置かれ、洋灯が立つという明治期の代表的な建造物で、首都高速道路のかげに隠れてしまった現状を惜しむ人が多い。「日本橋」の文字も15代将軍慶喜の筆で、建築技師妻木頼黄(旧幕臣)が懇請して書いてもらったという。

《箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川》と歌われるように、東海道の最大の難所は川だった。当時の木橋はちょっとした増水でも流されるうえ、幕府が江戸や駿府(静岡市)防衛のため故意に橋をかけさせなかったからで、健脚を誇る継飛脚も早打ちカゴも、川止めに遭ったら手の打ちようがなかった。



西川ビルの前から、三越本店方面を眺めている。日曜日のせいか人通りはいつもより少ないようだ。ここからまた出発しようという新たなファイトが沸いてくるのは私だけではあるまい。
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[ 2008/05/18 13:13 ] 生活・文化 | TB(0) | CM(0)
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