◆◆ 由無し事 ◆◆

心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば・・・・・

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秋らしくなってきて・・・ 

台風は全く影響が無かった。今日は蒸し暑さは残るものの、秋らしさが感じられる季節となった。そんな訳で、銀行員時代の担当地域であった天神から舞鶴にかけてウォーキングと洒落込んでみた。

天神で地下鉄を下車。昭和通りの出口から地上へ。まずは散髪でスッキリと。昭和通りの一本北側の道(名前、分からない)を舞鶴方面を目指して歩き始めた。

最初に足を止めたのは、「モツ鍋てん」があったビルの前である。今は、DVD、ビデオを販売する店に変わっていた。隣のパチンコとサウナもビジネスホテルとなっていた。谷地君が「よってください!」と出てきそうな・・・そんな気がして・・・

親不孝通り(知ってるままの字で)を横切って進むと、お世話になった「とり祥」(リンクをどなたかのブログに)さんの店舗が目に飛び込んできた。開店前ではあったが、のぞいてみると店の中は昔と同じで懐かしさが脳裏をかすめた。

さらに西へ、「大長寺」さん。懐かしさがピークに!納骨堂の建築のとき担当させていただき、当時の檀家総代船木久一ボンフカヤ社長(当時)に大変お世話になったことが思い出されれて・・・

以前の読売新聞の記事も思い出され、ネットで必死に探してみた。やっと見つけ出したのが下に記事である。

プロ棋士たちの少年期には、共通点がある。いずれも、碁を習い始めてから短期間のうちに急激に強くなっている。加藤正夫もそうだった。1956年(昭和31年)、小学校4年の時に碁を覚えてから2年の間に目覚ましい勢いで棋力が伸びた。

棋力のアップは、その才能によるところが大きいのは言うまでもないが、この時期、加藤少年を囲碁の世界にぐいぐい引っ張り込んでいた場所がある。

福岡市中央区舞鶴1丁目の大長寺である。

同寺は17世紀の初めに創建された福岡藩主黒田家ゆかりの寺で、本堂は230年余前の江戸中期の建築とされている。太平洋戦争中の1945年(昭和20年)6月、アメリカ軍の空襲で、博多の旧市街地の多くは焼け野原となったが、舞鶴地区は、大長寺とその周りの家だけが難を逃れた。

その本堂も、今年3月下旬の福岡県西方沖地震で、屋根がゆがんで波打ち、門や塀もボロボロに崩れるなど大きな被害を被ったが、戦後の一時期、同寺には日本棋院の支部が置かれていた。

当時、住職を務めていた河東俊正が無類の囲碁好きで、本堂の隣の16畳の離れには、碁盤が並び、毎日、人が集まっていた。プロ棋士を招いた指導碁会もたびたび開かれ、加藤の師となる木谷實をはじめ、関西棋院の総帥、橋本宇太郎らも訪れている。

加藤少年は日曜日になると、必ずこの寺を訪れた。市内の強豪が集まって、賞金付きの碁会が開かれていたからである。

読売新聞:九州発

たいした距離を歩いたわけではない。東京であれば、半日歩けば1万7,8千歩歩くのに、福岡では思い出深い場所が多く、足ではなく頭(脳)の散歩が主となることはやむをえないと言うことだ。
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[ 2008/09/20 16:57 ] 福岡 | TB(0) | CM(0)
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