◆◆ 由無し事 ◆◆

心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば・・・・・

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自然の計らい 

11月の声を聞くと、自然はそれらしい趣を提供してくれるものである。朝夕の冷気は少し前のそれとは明らかに異なっている。所要で東公園を訪れる機会があった。昔と同様日蓮聖人増が目印である。東京でも池上に住んだことを考えれば、日蓮さんとは不思議な縁があるとしか考えられない。(→池上本門寺

最近、落語に凝っている。落語には人生を過ごしていく上で必要な"知恵"がたくさんちりばめられている。特に、研究とまではいわないが「二代目桂枝雀」に特別な興味がある。枝雀は60のネタを集中的に稽古に励んだという。
代表的な60のネタ

青菜」「あくびの稽古」「愛宕山」「池田の猪買い」「いらちの愛宕詣り」「植木屋娘」「牛の丸薬」「うなぎや」「延陽伯」「親子酒」「親子茶屋」「かぜうどん」「義眼」「口入屋」「くっしゃみ講釈」「首提灯」「くやみ」「蔵丁稚(四段目)」「高津の富(宿屋の富)」「鴻池の犬」「仔猫」「瘤弁慶」「子ほめ」「米揚げ笊」「権兵衛狸」「鷺とり」「佐々木裁き」「皿屋敷」「算段の平兵衛」「蛇含草」「崇徳院」「住吉駕籠」「千両蜜柑」「代書」「ちしゃ医者」「茶漬えん魔」「次の御用日」「壺算」「鉄砲勇助」「天神山」「胴切り」「道具屋」「胴乱の幸助」「時うどん」「夏の医者」「猫の忠信」「寝床」「軒付け」「八五郎坊主」「はてなの茶碗」「花筏」「七度狐」「質屋蔵」「一人酒盛」「ふたなり」「不動坊」「舟弁慶」「まんじゅうこわい」「宿替え」「宿屋仇

枝雀といえば、私には「地獄八景亡者戯」という大ネタが思い浮かぶ。このネタは桂米朝の十八番といわれているものですが、枝雀の多彩振りが随所に垣間見られ十分に堪能できるものである。

世の中とは思い通りにならないものである。古典ネタの完成度を高めようと思いつめて、うつ病を発病、自殺を図り、稀代の天才は帰らぬ人となってしまった。天才が故の悩みがそこにはあったに違いない。

人間は自分のことすら100%解ることはない。まして他人のことなど知りえる術さえ知らないのだ。「唯一無二」の存在であるということは、そんな存在でも、創造主はこの世に不可欠必要な存在として我々を送ったのである。こんな思いにふけるのも季節のせいなのであろうか?
「同時代に生まれた幸せ」 ─── 桂三枝

桂枝雀さんは、上方落語の昭和・平成における爆笑王だったと今改めて思っています。その枝雀さんと同時代の空気を吸えたということは、私にとりましては一番の喜びであり、また、噺家である自分の誇りでもあります。

私は枝雀さんと違いまして、同じ上方落語でも、創作落語の世界へと進みました。それには理由がふたつほどあります。ひとつは私がマスコミの仕事をさせていただいているうちに自分の口調がどうしても古典落語の世界には合わないと感じまして、将来、自分の口調に合わせた落語を続けてゆくためには、今の新しい時代の落語を自分自身で作ってゆくしかないと思ったこと、それにもうひとつは古典落語の世界に枝雀さんがおられる限りは、古典落語で自分が頭角を現すということは至難の技であると考えたからなんです。

枝雀さんのように古典落語をあんなにも面白おかしく伝えることが出来るお方というのは、これから先にはもう出てこられないだろうなと思います。それは時代がどんどんと変ってゆくということがひとつの理由にあげられます。今から考えてみますと枝雀さんというのは時代の曲り角に現れたとも思うんです。十年後に枝雀さんが出現されておられたら事情が少し違ったかも分りません。しかし、あの時代に枝雀さんがおられたからこそ、古典落語をあんな風に、しかも面白さを伝えるにはあの方法しかないという方法を見つけられたんだと思います。これだけ世間のシステムが変ってきたら、お客さんに古典落語の心であるとか雰囲気は伝えられたとしても、落語本来が持っている面白さを伝えるということにおいては、どうしても約束ごとであるとか、あらかじめ知識として知っておかなければならない事柄が多いので大変難しいことだと思います。それを枝雀さんはご自分のキャラクターを全面に出すことによって、お客さんの心にドーンと入ってゆくという方法を見つけられました。本当に凄い方だと思います。枝雀さんの落語は古典落語ではありますが、これはもう枝雀落語で、枝雀さんの創作落語といっても不思議ではない。はじめに古典落語という素材を与えられはしましたが、それをご自身で作りあげてゆかれた。そういう意味では落語の歴史三百年の中で、枝雀さんご自身が三百年の歴史と戦われた。その戦いは並大抵ではなかったでしょう。少しでも面白いものへ面白いものへとお稽古をされた。ですから本当に大変な思いをなされたことでしょうし、お疲れにもなったでしょう。厳しく、辛く、壮絶なものがあったと思います。

私はある意味において、芸人として枝雀さんを大変羨ましく思います。それは一番パワフルで、面白い、いい形で、枝雀落語を封印出来たからです。それを私は芸人としてはとても羨ましい生き方だと考えます。

私のホームページに東京のある学生さんから、「最近、上方落語が好きになった」という意見を送っていただきました。その方は枝雀さんをリアルタイムでは聞いておられない。けれどもテープで聞かれて、「なんと面白いんだ」と思ったというのです。これは私も正直凄くうれしかった。けれども、彼は一生、生の枝雀落語は聞けないのです。同様に、これからも枝雀落語は生では見れなくても、CDやビデオ、DVDなどの音声や映像ではいつでも見られるわけです。これは江戸時代や明治の時代にはかなわなかったことですので、そういう意味においては進んだ文明に感謝しないといけない。けれども落語は、その進んだ文明に追い込まれた部分もありますので、なぜか複雑な気持です。

枝雀さんにはせめて次の世代が出てくるまではもう少しがんばっていただきたかったと思います。枝雀さんのことはいくら考えても残念でなりません。
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[ 2008/11/03 16:17 ] 生活・文化 | TB(0) | CM(0)
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